考える人

2010年3月10日分から、試験的に書いています。
本家(2009年1月5日〜)は、こちらです。
http://stsimon.paslog.jp/


ロダンの作品ではなくて、新潮社の季刊雑誌です。
今回2010年春号の特集は「はじめて読む聖書」だったので、つい買って
しまいました。


別にキリスト教徒ではないのですが、文学作品としての聖書は面白いです
からね。
私の大好きなバッハの「マタイ受難曲」や「ヨハネ受難曲」も新約聖書
マタイ福音書ヨハネ福音書をベースにしているので興味はあるんですが、
基礎知識がないので参考になるかなと思って。


まぁ、色々な人が色々な事を書いていて参考になる部分もありました。
駄菓子菓子、一番強烈だったのが田川建三(たがわけんぞう)さんという
新約聖書学者です。
「神はいない」と断言するのがすごいなぁ。
新約聖書が2000年間存在して、その存在理由を評価しつつもカトリック
プロテスタントの新共同訳に疑問を呈している訳ですよ。
2000年前の古文書としての新約聖書を、原典のギリシャ語から訳して註を
つけるという日本初の遠大な仕事を個人でし続けています。
新共同訳というのは、随分恣意的な解釈をしているんだなぁ。


田川さんは、当たり前の事を、あたり前にやっているとも言えますが、
経歴も強烈な人です。反骨の学者とでも言うのか、しかし研究内容は一流。
現在74歳らしいですが、生きているうちに完成させて下さい(おい)。
60歳を過ぎてからメインの仕事に取り掛かったようですが、理由として
「60歳を過ぎて、やっと古典ギリシャ語が分かってきた」からだそうです。
カッコいいです。生き様がロックですよ。
是非、この人の本は読んでみたいです。


さて、話はガラッと変わりますが
戸松遥さんは、中高の部活は「ハンドベル部」だったと発言しています。
ハンドベル」は普通に考えれば、キリスト教と密接に関係しています。
と言うか、ミッション系の学校以外では存在理由がないと思います。
戸松さんは「ミッション系」とは言ってないので微妙なんですが。
でも「講堂破壊事件」の件でも「神聖な講堂」と言っていますからね。
礼拝場所としての講堂と考えるのが自然でしょう。


また、ベースを始めた理由の一つとして「重低音が好き」とインタビュー
で語っていました。「重低音」という単語が印象的で覚えています。
「重低音」と言えば、私はパイプオルガンが第一に浮かびますけどね。
パイプオルガン→宗教音楽→バッハみたいな連想が。
例えばバッハのオルガン曲「トッカータとフーガニ短調」は月並みだけど
名曲です。あれです、嘉門達夫の「鼻から牛乳」の原曲です(笑)。
戸松さんは講堂でオルガン演奏を聴いていたのかも。


そんな事を考えた、5月の日曜日。
次の日曜日は、スフィアの名古屋公演と競馬のオークスです。


戸松さんが「マタイ受難曲」を聴いた可能性はあるよなぁ。