高垣彩陽さん出演の『朗読劇 私の頭の中の消しゴム7th letter』を観ました。


     もちろん、アルコール入りを注文

去年の「6th letter」の感想は、こちら
5/4の2公演目を観劇しました。今回は、大貫勇輔さんとのコンビでした。
感情の振幅の多い役柄なので、半端な演技では只の「朗読」になってしまいますが、
あやひーの演技は、本当に「薫の人生を生きている」という気がしました。
既に「朗読劇」という範疇には収まらない演技です。
恋に夢中になっている可愛らしい女性の柔らかい表情と言葉。
発病してからの絶叫場面での、鬼気迫る表情、凄まじい声量と迫力。
あんな声出して、喉は大丈夫なのでしょうか。
観客が無意識に予測している演技のレベル、一瞬それを超えてしまう演技に、観客
としては、息を飲み、感動し、深く沈黙するしかありません。
「あやひごろ」でも、
  今日は、自分でもコントロールできないような感情に溢れる瞬間がありました。
     ・
     ・
  こうしよう…とか、
  こうやりたい…とかじゃなくて、
  たったひとつの大きな感情の力で、
  予定も計算もできなかったような声がこの口から出ていく。
  不思議な感覚だったなぁ。
とあります。
役者として、演技を超える演技をした瞬間の感覚を語っています。
観客側としても、演技のリミッターがはずれたような感覚を覚えました。
確かに、それは観客に自覚的か無意識かは別にしても、間違いなく心に深く刻まれた
と思います。そういう瞬間に立ち会えた幸福に深く感謝したいです。
それにしても、そういう事を自然に語れるあやひーの役者としての感性が素晴らしい。
舞台役者としても、さらに凄い人になっちゃったなぁ。
去年より、前半で笑う観客や、後半ですすり泣く観客が多かったような。
ラストシーンに関しては、個人的には去年の方が良かったと思います。
去年は、薫の神々しい無の表情を強調していましたが、今回は浩介のセリフの後で、
あっさりと終了。


去年は初見だったので、あんまりストーリーを追及する気にはなれませんでした。
去年の観賞後に、実際の若年性アルツハイマー患者や家族のドキュメンタリーを
何度か観る機会がありました。
確かに悲劇なんですが、日常生活の細かい部分には、妙にユーモラスなところも
あるんです。逆にそうでもしないとやっていけない、というのはあるでしょうけど。
過酷な状況で生きざるを得ない人々には、不思議な力強さも感じました。
私の祖父も晩年は、どう見ても認知症でした。当時は「ボケた」程度の認識でした。
ご飯食べた事を忘れる、トイレの場所が分からない、夜中の12時に「昼の12時だ」と
騒ぐなど、薫さんそっくり。
でも、祖母が家族で唯一真面目に対応してました。
「昼の12時だ」と言い張る祖父は、外が真っ暗なので「○○さんのところは太陽が出て
いるか聞け」とか言う訳です。
すると祖母は「○○さんのところは太陽が出ていないそうです」とか答えるのですよ。
祖父は「そうか」と言って、興奮も沈静化していきました。
私は、祖父が風呂場にしたウン○を裸足で踏んづけてしまい、すごく怒っていたの
ですが、この会話には笑ってしまいました。


「消しゴム」は、観客を泣かせようとする芝居なので、若干無理している感があります。
薫が「一番幸せな時に別れたい」と言うのには、断固反対したい(笑)。
夫婦ならば、苦しい時も助け合って生きるのが本当では?
まぁ、薫は助けられるだけと思うかも知れないけど、それは違うと思います。
薫が何ヶ月も病気の事を、浩介に打ち明けないのも不自然。
と言うより、医者は早い時期に夫に詳細を教えるでしょう、二人が共に生きるために。
薫は、もっと夫に頼ってもいいのでは。結局、この二人は恋愛はしても、本当の家族
にはなれなかった気がします。
だから、どんどん深刻な方向のみに話が転がってしまいます。
薫の「カズヤさん、行ってらっしゃい」を「あいつかよ!」と笑ってやり過ごすのが、
生活者のリアルのような気がします。私は、一人で笑ってましたが。


冷静に考えると、不倫直後に懲りずに恋する薫さんは・・・・相当惚れっぽい女だよね(笑)。