『true tears』設定資料集Last Memory

2010年3月10日分から、試験的に書いています。
本家(2009年1月5日〜)は、こちらです。
http://stsimon.paslog.jp/


コミケ85で入手しました。A4で306ページあります。これで4000円はお買い得です。
もちろん、お目当ては石動乃絵役の高垣彩陽さんへのロングインタビューです。
これが期待通りの面白さでした。
true tears』に関連した色々な事を語っていますが、やっぱり演技関係の話は非常
に興味深いです。


高垣彩陽「私にとって、本当に大切な作品です」から始まり
「私は名作と呼ばれるものは、人の人生の経験値を計ることができるもんじゃないかと
思っています。『true tears』も、観る時期や年齢、状態によって、感じるもの、共感
するものがまったく違うと思うんです。誰の目線で観るかも違うし、それまで全然気づ
かなかったところが凄く心に響いたり・・・・・・作品は変わらないのに、受けとるもの、
得られるものが変わる。それは、観る人が経験を積んだからこそではないかなって」
イベントでも「人生の経験値を計る作品」との発言はありましたが、自分の経験を踏ま
えて、ここまで深く考えているとは、驚きです。
「当時の私は本当に、乃絵の気持ちでしかいられなかったので、比呂美の感情も愛子の
感情も、比呂美の周りで起こっていることも愛子の周りで起こっていることにも、全く
気持ちが至らなかったのです。極端なことを言ってしまえば、考えようともしませんで
した」
それが結構な年数続いたそうです。
「今でこそちょっと落ち着きましたが、オンエアが終わって2〜3年ほどは映像を見ても
音楽を聴いても涙が出てきてしまうくらい、心の深い部分に『true tears』という存在
があって。ちょっとしたスイッチで、気持ちがぐわんぐわん震えてしまっていたんです。
それだけ、乃絵としての『true tears』が、根強く心に残っていたんですね」
今では、比呂美や愛子や眞一郎の気持ちも分かるようになったそうです。
当時のあやひーは、主役を演じたアニメはありましたが、まだまだ新人の部類です。
役に一生懸命取り組むのは分かりますが、それにしても半端じゃないです。
5年後のイベントでも、明らかに他の役者さんとは作品への向き合い方が違うもんなぁ。
他の役者さんの態度が普通で、あやひーが特別なんです。


当時の高垣さんにとって比呂美や愛子がどんな女子に見えましたか?という質問には
「乃絵って、自分が興味のないものには、全く興味を示さない人だと思うんですね。
なので、当時どう思ったかを改めて聞かれると・・・・・・あんまり覚えていないんです、
すごく失礼な話なんですけど(笑)。ただ、比呂美が乃絵に対して「あなたには分から
ない」と言ったことへの怒りは覚えていますし、最後にいろんなものを受け入れた上で
「あなたの涙は綺麗」と言った乃絵の心の変化も覚えています・・・・・・ても、それは
高垣彩陽がどう彼女を思っていたかとは、また違いますね。あくまでストーリーが進む
上での乃絵の気持ちを追っていっただけなので、高垣彩陽として見る余裕はなかったです」
すっかり、乃絵と同化しているあやひーの話し方も凄いな。


やっぱり、乃絵を演じる事について語ってる部分が白眉です。
「彼女の価値観、彼女の行動は、他の人からはある意味マイノリティーに見えたと思い
ます。私も彼女を100%理解していたかと言えば、決してそうではなかった。でも、役を
100%理解することは、演じる上で必ずしも絶対に必要なことではないんじゃないか?
とも思うんです。役者としての怠惰ではなく」
−なぜそう感じられたんですか?
「自分のことを説明して下さい、自己紹介をして下さいと言われて、100%きちんと出来
る人っていないと思うんですよね。誰かから見た自分は、自分で思う自分とは絶対同じ
じゃないですし、自分でも知らない自分がたくさんある。だとすれば、役に対しても
余白があることが正解かも知れないなと、『true tears』と同じように、キャラクター
の曖昧な部分が人間的に描かれている『TARI TARI』の時に感じたんです。人間はひとつ
の枠組みではカテゴライズ出来ない。『true tears』でも乃絵のことを100%理解して
いたかと言えばそうではないと思うし、理解していなかったことが、逆に良かったんじゃ
ないかと。当時は、「乃絵だから!」という感情でマイク前に立てたんです」
−それはどういうことでしょうか。
「「普通だったら私はこうするけど、乃絵はなぜこうするんだろう、その感情はどういう
ことなんだろう?」と深く考えて台詞を読み解いていくというよりも、直感で台詞が言え
ました。前に名塚さんも、比呂美はこの台詞をどう言うだろうと凄く考えて、答えが出な
いまま現場に来ても、マイク前に立ったらふわっと台詞が出て「コレだ!」と思ったと
おっしゃっていたんですが、私にとっての乃絵もまさにそう。乃絵という女の子も
true tears』も、役者がそういう向き合い方ができる作品だったんです」
−頭で乃絵の言動を理解できていなくても、高垣さんご自身が「乃絵だったらこうするに
違いない」と納得できたんですね。
「はい。他の作品だと、ある意味、理詰めで向かうようなことも、『true tears』では
しなくて良かった。全部が「乃絵だから!」という回答のもと、マイク前に立てました」
−それは最初からでしたか?
「いえ、初めはめちゃめちゃ考えまくってしまい、がんじがらめになっていましたね(苦笑)。
でも、ある時「乃絵ってこういう人なんだ、これが乃絵なんだ!」と分かった瞬間があった
んです」
それは、第4話のシーンだそうです。
そして、それまでの作品では感じられなかった経験として
「眞一郎に付き合おうと言われた話数のアフレコの時、事前に考えていった演技プランも
あったのですが、それとは別にワッとその場の反応として台詞が出たんです。だから、どう
やってやったのかも全く覚えていなくて。自画自賛するようで恥ずかしいんですが・・・・・・
後でその話数の映像と音声のダビング作業を見学に行ったら、「こんな声が出てたんだ!」
と鳥肌が立つくらい、自分の乃絵に驚きました。その瞬間に「あ、ここに乃絵がいたんだ」
と思えたんです。そう思える瞬間は、なかなか無いです」
−高垣さん=乃絵になった瞬間だったのですね。何も考えずに一体化できたと。
「役者としては、いつもそれではいけないと思うんです。何も考えないお芝居というの
も・・・・・・(苦笑)。でもとても大事な場面でそれがあるのは、私がありたい役者像、お芝居
像としては理想的。そんな瞬間にまた立ち会いたい。そう思いながら、日々お仕事に取り
組ませてもらっています」
色々と圧倒されます。
「演じる人物を100%理解していなくてもいい」というのは、あやひーみたいに「100%理解
しようと全力で努力している人」だから言える言葉だと思います。
私は演技論でお気楽に「役に成り切る」とか「役を生きる」とか書きますが、それは役者が
単に役の人生をマネすればいいという意味ではありません。
大体、アニメでは、詳細なキャラ設定がされていない、と思える場合も多いですからね。
マネすら不可能な場合が、ほとんどじゃないかな。
私の貧しいスタニスラフスキー理解によれば「演技とは何かの「模倣」ではなく、直感的
(無意識的)創造力へ至る「過程」である」という事です。
つまり、役と役者の間にある大きな差異、多分あやひー言うところの「余白」。それを埋め
る過程を「演技」と呼ぶのだと思います。
そして、あやひーには『true tears』において、「直感的創造力」が働く場面があったのだ
と理解しました。
因みに、そういう幸福な経験について
高垣彩陽「『true tears』の後も、何度か同じ経験をさせていただいていますが、私にそう
いう瞬間が初めて訪れたのは、まぎれもなく『true tears』でした」
それは、確かに忘れられない作品になる訳です。


他にも面白い話が沢山あって、ここでは書ききれませんが少しだけ。
○アニメの収録システムだと、役への没入感が中断されるという話。やっぱりなぁ。
それでも、前向きなあやひーが素晴らしい。
○眞一郎が最終的に比呂美を選んだ件。
制作サイドの対談によると、第9話まで比呂美か乃絵か、意見が分かれたそうです(笑)。
あやひーの見解は「あの物語の中では眞一郎の心は最初から決まっていたと思うんです。
ただ、そこに真っ直ぐにたどりつけないのが人間というものかなって。最終的には比呂美を
選びましたが、乃絵と付き合ってた時間が嘘だったかというと、それは絶対になかったと
思います」
制作サイドより、よっぽど眞一郎を本質的に理解しています。流石です。
○イベントの時と同様に、眞一郎と乃絵の恋愛を拒否するあやひー(笑)。激しく同感です。
○乃絵のキャスティングが難航した話。
最初は決まらず、再度のテープオーディション。あやひーのテープは反響しまくる部屋で録音
されていて、普通ならそれで落とされても仕方ないレベルだそうです。危なかったなぁ。
ミューレは、そのへんのチェックはしないのかな。
西村監督は、最初からあやひー推し。
あやひーの「アブラムシの歌」は印象的だったようです。
この本には、あやひーへのインタビューの他に、対談が2組あります。
西村純二(監督)×岡田磨里(脚本)
堀川憲司(P.A.WORKS社長・プロデューサー)×永谷敬之(プロデューサー)
これらも、当時の状況がうかがえて興味深いです。
それにしても、これだけ作品や演技について語れるあやひーは素晴らしいです。
ただ当然の事ながら、制作サイドの本なので、ほぼ『true tears』賛美一色なのです。
個人的には、視聴者視点からの『true tears』論も必要だと思います。


これだけの本を出してもらったお礼の意味も込めて、『true tears』論を書きたい!