映画『万引き家族』を観ました。

2010年3月10日分から、試験的に書いています。
本家(2009年1月5日〜)は、こちらです。
http://stsimon.seesaa.net/


第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門にて、パルムドール賞を受賞した
話題作ですが、それより以前から注目していて観ようと思ってました。
・・・何だか嘘臭い言い方だけどね(笑)。


面白かったけど強烈な話です。
強烈な話だけど、現代の日本の現実を切り取った作品ですよね。
時々、いたたまれないと言うか、身体をよじりたくなりました(笑)。


何年か前にあったニュースで、亡くなった祖父母の年金を家族達が受取り続ける
という詐欺事件が何件もありました。
年金受給者は、年に1回現況届を出す必要があります。
遺族は勝手にそれを出し続けて(生きている事にして)、年金を不正受給した訳です。
但し、葬儀や埋葬は、死亡証明書が無いと出来ません。
死亡証明書を得るには、役所に死亡届けを出す必要があります。
そうすると、年金機構にバレてしまいます。
だから、映画にあったように、秘かに死体を埋める事になります。


是枝裕和監督は、そのニュースをヒントにしたそうです。
だけど、初枝(樹木希林)が亡くなるのは、映画の後半なので年金詐取がメインの
話ではないです。


最初の印象では、この「家族」が万引きする理由がよく分かりませんでした。
初枝の年金、治(リリー・フランキー)、信代(安藤サクラ)、亜紀(松岡茉優)の3人
は非正規だけど働いているし。裕福ではないけど、何とかなりそうな感じです。
しかし、その危うい内実が明らかになってきます。
亜紀はJK見学店で稼いだお金を家に入れてなかった(笑)。
治は建築現場で働いていますが、事故でケガをしても労災は出ず。
信代は、クリーニング店を「時給が高いので」解雇される事に。


この時、信代ともう1人が本人達の話し合いで、どちらかが辞める事になりました。
信代の家族をネタに、やんわり脅迫してきて辞退を迫ります。
信代は退職しますが、その時相手に「言ったら本当に殺すから」が怖かった(笑)。


この作品での安藤サクラは、包容力のあるような存在なんですが、先程のセリフ
の時の目が怖かったです。底知れぬ凄みを感じました。
上手いし、とても存在感のある演技でした。
リリー・フランキーのへらへらした小悪党振りも流石と言うべきか。
祥太(城桧吏)との連携万引きは、プロの技でした(笑)。


個人的には「疑似家族」の絆と、「本当の家族」の希薄な関係の対比が印象的でした。
解体した「疑似家族」から本当の家族に戻った子供も、不幸が暗示されています。
他にも色々思うところはあるけど、人によって受取り方は様々でしょうね。
そういう事を提示出来るのは、優れた作品の証だと思ってます。


あと言っておきたいのが、この作品への政府というか安倍首相の態度です。
メダリストやノーベル賞受賞者へは、電話したり招待したり散々利用しています。
ところが、日本映画として21年振りのパルムドール賞という、ノーベル賞より
稀少価値のある賞を受賞したのに、一言の祝福もありません。
これは、是枝監督が安倍さんを批判しているからとしか思えません。


安倍さんは、自分の好き嫌いが行動原理ですからね。
お友達には、露骨な利益供与するのにね(笑)。
この件では、安倍さんは、ル・モンド紙にも批判されています。
この作品は、直接政治を批判している内容ではないんですよ。
あくまで、エンターテインメント、娯楽映画の範疇です。
安倍さんは、つくづく器の小さい人だなぁ。


この作品は、あやひー流に言うと「人生の物差しになる作品」だと思いました。

映画『フリークス』を観ました。

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DVD版ですけどね。


グレイテスト・ショーマン』では「フリークス」の扱いは、サラッと流しています。
それがメインテーマじゃないし、あくまでミュージカルがメインでしたからね。
映画の中で「フリークス」という言葉は、蔑視的に使われていたと思います。


そして、ズバリ『フリークス』という名の映画があります。
1932年に、トッド・ブラウニング監督が大手のMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)
で作った映画史に残る問題作です。
サーカスを舞台に、そこに生きる人々の生活や恋愛模様を描いた作品です。
それだけだと普通ですが、多くの登場人物が「フリークス」なのです。
当時、実際のサーカスの見世物でスターだった「フリークス」達を集めたそうです。
やはり、そのビジュアルは強烈な印象です。


小人とかシャム双生児は、現代でもたまに映像で見る機会はあります。
しかし、上半身だけしかない人とか、四肢のない人とか、両性具有者などは、一瞬CG
かと思ってしまうぐらいインパクトがあります。
上半身だけの人って、どうやって排泄するんでしょうか・・・。


この映画は見世物的な側面もありますが、「フリークス」達が食べたり、飲んだり、
喫煙したりなどの日常を描いています。人間なんだから当然です。
小人同士のハンスとフリーダは恋愛中で、婚約しています。
ところが、ハンスは健常者でアクロバットが得意な美人クレオパトラに惚れてしまい
ます。
クレオパトラは、性悪女でハンスが相続した遺産を狙って結婚します。
そして、ハンスを毒殺しようとします。
しかし、それに気付いた「フリークス」達に復讐されます。
嵐の夜のその場面は、ちょっと怖いですが、具体的な復讐シーンはありません。
クレオパトラは、鳥女(顔が人間で他は鳥みたいな外見)にされていました。
ハンスは後悔から数年間、屋敷に引きこもりますが、フリーダが訪ねて来ます。
フリーダはハンスを許して抱き合い、フリーダの「愛してるわ」の言葉で終ります。


シャム双生児の姉と結婚した男が姉に対して
「お前だけここにいろ」「それは無理」みたいな会話が何度かあるんですが、ここは
笑うとこだよね。
この映画の公開は、世間には衝撃だったらしく、上映禁止が相次ぎました。
トッド・ブラウニングも、この作品以降はほとんど作ってません。
あるいは、作らせてもらえなかったという方が正解かな。


この映画については、確か寺山修司もエッセーで言及していました。
寺山修司の語る映画は、観たくなります。彼の作った映画もですけど。


「お涙頂戴作品や楽しい作品だけが映画じゃない」と思う人にはお薦めです。

映画『グレイテスト・ショーマン』を観ました。

2010年3月10日分から、試験的に書いています。
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19世紀に活躍した伝説の興行師P・T・バーナム(ヒュー・ジャックマン)を主人公
にしたミュージカル映画です。
バーナムは、貧しい下層階級出身で、脱サラ起業して見世物(後にサーカスと命名)
で有名になります。
その栄光と挫折、再起を描いています。


ミュージカル部分は、本当に素晴らしかったです。
「A Million Dreams」という曲で、貧しい少年時代から結婚まで一気に進みます。
少年バーナムが歌い始めて、ヒュー・ジャックマン達に繋いでいきます。
このシーンは公式サイトで公開されています。
他の曲も冒頭の「The Greatest Show」とかキアラ・セトルの歌う「THIS IS ME」
など印象に残る良い曲が揃っています。


ただ、ストーリー的には軽いと言うか薄っぺらいです。
バーナムという人物は、どう考えてもアクの強い、一筋縄ではいかない人物です。
見世物も「外見がユニークな人達」を集めたものです。
小人とかシャム双生児とか髭女とか、一般的には「フリークス」と呼ばれ差別され
ていた人達です。そんな見世物を思い付くのは只者ではありません。
そういう人物の半生記としては、あまりに表面的です。


バーナムは少年時代に「フリークス」に親切にされたエピソードもあり、見世物を
始める時の面接でも「フリークス」に対して、非常にフレンドリーで差別意識
ない人物として描かれています。
唯一、上流階級のパーティーで、部屋に入ろうとする「フリークス」を追い返す
場面に、バーナムの心の底の差別意識を見た気がします。この場面は良かったです。


後はオペラ歌手ジェニー・リンドに入れ込んで、妻との修羅場な筈なのに都合よく
アッという間に収まったり、「フリークス」を裏切ったのに簡単に和解してもらった
り、ご都合主義もいいとこです。
だから、ストーリーを重視する人達(少数派)には不満なのも分かります。
私は事前に「ミュージカル部分だけ観るように」という指令を受けていたので、
ストーリーは気にしない方向でした(笑)。だから、面白かったです。
大体、ハリウッドの大手資本の映画に「問題意識」を求めるのは間違ってます。
彼らは、何でもエンタメとして消費しますからね。


そう考えると、ヒュー・ジャックマンの演技は大したものです。
終始、人のいい笑顔を浮かべて、あくまで内面を見せません。
この軽いストーリーに、ドンピシャなんですよ。
だから演技としては、むしろ名演の部類だと思います。


ミュージカル好きのあやひーも観たんでしょうか。

「バベルの塔」展に行きました。


ピーテル・ブリューゲル1世の有名な「バベルの塔」が目玉の美術展です。
バベルの塔」は、2点描かれていて、今回来たのはボイマンス美術館所蔵のものです。
もう1点は、ウィーン美術史美術館所蔵で、そちらの方が大型だそうです。


色々と工夫された展示で楽しめました。
旧約聖書の「バベルの塔」の物語では
世界は共通言語で話していた→人々がある土地に住み着いた→天まで届く塔を作って
有名になろうとした→神が怒り塔を破壊→人々に異なる言葉を与え意思の疎通を妨害
結論:神様は底意地が悪い。


それはともかく、「バベルの塔」の3倍複製画(非常に良い出来)や3DCGによる立体表現
など非常に面白いです。
それによって、細部まで正確に描かれている事が分かります。
因みに、「バベルの塔」の高さを推定すると510mだそうです。


ピーテル・ブリューゲル1世には、奇怪なモンスター(何かユーモラス)を描いた作品
も多いのですが、その始祖となったのは、ヒエロニムス・ボスという画家です。
私は、このボスが大好きで、今回の本当の目的はボスの油絵2点です。
ボスの油絵は、全部で25点しか確認されてませんが、そのうちの2点ですからね。


ヒエロニムス・ボスは人々の日常を描いた作品や、一見宗教的な作品でも、奇怪な
モチーフに溢れています。意味ありげなモチーフを描いても真意は謎だらけです。
悩んだり面白がったりする観賞者を、遠くからニヤッと眺めている感じです。
ボスは「奇想の画家」とか「幻視の画家」とか言われています。


ボスの「放浪者」という作品が衝撃でした。
カゴから、何だかシマシマの物体がぶら下がっています。
ご丁寧に拡大写真と解説があり、何と「猫の毛皮」とありました。
「猫の毛皮」って何のためにあるんだ(笑)。しかも、私の好きなキジ猫とは・・・。


今回の公式マスコット、「タラ夫」です。ブリューゲルの絵から取ったもの。


ボスにしても、ブリューゲルにしても16世紀の画家だけど、不思議と現代的です。

「ゴッホとゴーギャン展」に行きました。

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何しろ30点近くのゴッホの作品が観られるのだから行くしかありません。


何で「ゴッホゴーギャン」かと言うと、二人は一時共同生活をしています。
ゴッホが誘ったのですが、約2ヶ月で破綻しました。
ゴッホは、その「黄色い家」にゴーギャンを迎えるために、せっせと壁に飾る絵を描いて
待っていたのですが。
二人の性格は全く異なるし、芸術に対する考え方も違い、最後は激しい口論の末にゴッホ
の有名な「耳切り事件」があり、ゴーギャンは「黄色い家」から逃げ出してしまいます。
その後も二人は、手紙のやり取りをしているので、共同生活さえしなければ良い関係です。


ゴッホの絵を観ると、本当に鳥肌が立ちます。もう、条件反射の類です(笑)。
デッサン力とか色彩感覚があり得ない領域ですが、そこから更に突き抜けた表現の世界が
あるように思います。とにかく圧倒されました。
順路を何回も往復して観入りましたよ。



「収穫」という作品。以前、この作品のポスターを家に飾っていました。
「完璧な風景画」というのは、この作品の事です。圧倒されるけど、気持ちが落ち着きます。



「ジョセフ・ルーランの肖像」という作品。私の祖母が好きだった作品。
よく、「郵便配達夫ルーラン」と言ってた気がしますが、配達する人ではなかった模様。


ゴーギャンについては、モデルとなった小説「月と六ペンス」をまた読みたくなりました。
最初に読んだのは中学生の時で、友人に勧められて読み、初めて小説の面白さを知りました。
ゴーギャンも、強烈な個性で人生を送った人です。いや、最初は勤め人だったから余計凄い。



美術館の前で、コンドルクインズが「Amigo! Amigo! 」を演奏してました。
・・・ウソです。「コンドルは飛んでいく」でした。
和奏達もいなかった・・・。


会期中に、もう一回は行きたいなぁ。

ミセス・バッハは作曲したのか?

2010年3月10日分から、試験的に書いています。
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数ヶ月前にテレビで、あるドュメンタリーが放送されました。
「ミセス・バッハ〜バロックの名曲は夫人によって書かれた〜」というもので、2番目の
奥さんであるアンナ・マクダレーナがバッハの曲の一部を作曲していたのでは?という
中々刺激的な内容です。


このドュメンタリーは、ニューヨーク・フェスティバル芸術部門金賞受賞作との事です。
大きなテーマは、「無伴奏チェロ組曲」の作曲はアンナ・マクダレーナだったという仮説
です。
チェンバロ曲の一部がアンナ・マクダレーナの作曲である可能性は、直接的な証拠は無い
けど確かにありそうです。筆跡鑑定の話は説得力があって面白いです。
ただ、途中から「アンナ・マクダレーナが女性だから黙殺されている」という主張が強過ぎ
て辟易します。


本題の「無伴奏チェロ組曲」に関しては、説得力が無いです。
主な根拠として
①「無伴奏チェロ組曲」のバッハ自筆譜が見つかっていない。
②筆圧からスラスラ書いているが、それはアンナ・マクダレーナが自作曲を写したから。
③アンナ・マクダレーナは歌手で高度な音楽教育を受けていた。
④バッハ家の友人が「ミセス・バッハによって書かれた」と記述している。
を挙げています。
①〜③については
彼女が筆写した「無伴奏チェロ組曲」には、演奏不可能な部分がいくつもあります。
自分にチェロの知識があって作曲したら、そんな事は起こり得ないでしょう。
アンナ・マクダレーナは、弦楽器に関しては素人だったと思われます。
普通に考えれば、筆写した時に間違えたと考えるのが自然です。
④は、根拠とする「エクレール」という言葉が当時は「書く」という意味だけで、「作曲」と
いう意味は無かった点で根拠としては弱い。


それでも、アンナ・マクダレーナが、バッハの作曲にかなり関与していた節があります。
当時の作曲は、今考えるほどには個人の著作物の概念は薄いようです。
やっぱり、「無伴奏チェロ組曲」に関しては直接証拠が無いです。
バッハの自筆譜が見つかれば解決なんですが(笑)。


「アンナ・マクダレーナが女性だから差別されている」という話以外は面白かったです。

カラヴァッジョ展に行きました。

2010年3月10日分から、試験的に書いています。
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国立西洋美術館 3/1〜6/12まで。


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610年)は、バロック期のイタリア人
画家です。
リアリズム的な描法や明暗の描き方が、後世の画家に大きな影響を与えたと言われています。
それよりも、「殺人犯の画家」として一般には知られていると思われます。
この人は38歳で亡くなるまで、しょっちゅう暴力事件を起こし、遂には殺人まで犯します。
街中でケンカしてのもので、正当な理由がありません。もの凄く短気な人物でした。
人間的にはどう見ても「クズ」です。「TARI TARI」の大智なんかより遥にクズです(笑)。
こういう人間に、とんでもない才能を与える神様って底意地が悪過ぎます。
まぁ、神様がいればの話ですが(笑)。


今回出展の51作品のうち、カラヴァッジョの作品は11作品のみです。
特に気に入ったのは「エマオの晩餐」と「法悦のマグダラのマリア」です。

   《エマオの晩餐》

見た瞬間、「レンブラントみたい!」と思いましたが、影響を受けたのはレンブラントの方ですね。
それくらい、構図、光と闇のコントラストが素晴らしいです。



   《法悦のマグダラのマリア

2014年に発見された作品で、今回が「世界初公開」との話題作です。
マグダラのマリア」は新約聖書にも登場して、一般的は「娼婦」だったと言われています。
バッハの「マタイ受難曲」では、イエスに高価な香油を注いで、イエスの弟子達から怒られた
人ですね。この絵のマリアの表情が謎です。
法悦なのか恍惚なのか、あるいは死んでいるのか。
土色をした下唇の印象も強烈です。生きているのか、死んでいるのか。
カラヴァッジョが殺人を犯した後の作品だけに、余計色々と考えてしまうのかも知れません。
何か「ある一線を超えてしまった作品」のようにも思えます。


カラヴァッジョの裁判記録もいくつか展示されています。
アーティチョーク事件」が笑えます。
カラヴァッジョがアーティチョーク(チョウセンアザミ)4つをバター炒め、4つを油炒めで注文
しました。運ばれてきた時、給仕にその区別を聞きました。
給仕が「匂いを嗅げば分かる」と答えた事に激怒し、皿を投げつけてケガをさせたというもの。
給仕の態度も悪いけど、こんな事にいちいち激怒してた人らしい。難儀な人だなぁ。


ところで、アーティチョークなんて(自覚的には)食った事ないです。